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使える差が出る録音・MIXテクニックBLOG

現役本職のミキサー「えむらじお」が真面目に教える録音・MIXテクニックです。

 

【無料記事】Auto-TuneとかMelodyneとかのお話。 

このブログをお読みになる方にはAuto-TuneやMelodyneと言えば 「ああアレね~」 とツーカーかと思います。※Auto-Tune(Antares Audio Technologies社)、Melodyne(Celemoney社)は世界的に有名な ピッチ補正ソフトウェアの名称。

今回の話題は、今や麻薬のように蔓延した魔法の作業。音痴が直る(「治る」ではない。あくまで「直る」である。)「ピッチ補正」の話題です。



▼Auto-Tune作業画面。音程はグラフで表されマウス操作で自由に音程補正が可能。
  ライバルであるMelodyneもほぼ同様の画面で簡単な操作で音程補正ができる。
autotune_evo_graphic.jpg



ご存じない方もいらっしゃると思いますので、ごく簡単にですが説明しますと従来は・・・


  「ボーカルトラックの完成度」 = 「いかに根気強くリテイク録音をしたか」


でした。 これはもう単純に 「ちゃんと歌えるまで終わらないよ?」 の世界。

ところが2000年頃からAuto-TuneやMelodyneなどのピッチ補正ソフトが発表されると、録音時に95点を出してればピッチ補正で100点にすることが可能になり、DAWの普及とともにピッチ補正ソフトもその便利さから爆発的に普及して行きました。

時間を掛けて根気強く、完璧なボーカルワークを実演することでしか実現不可能だった音源制作が、科学という魔法で多少のピッチずれは手軽に修正できるようになり、歌を本職としないアイドルが頑張って歌ってCDを作る現場などでは、アイドルを泣くまで調教して冗談抜きに何百回とリテイクして完璧なボーカルトラックを録音するよりも、簡単で手間も時間もお金もかからないピッチ修正が浸透するようになりました。

ピッチ補正は写真で言えばAdobe Photoshopでのレタッチです。今やその修正結果の完成度たるや、カラオケに一緒に行って苦痛なく聴けるような軽度の音程ズレであれば修正したことはまずバレません。わかりません。まるでプロのシンガーのようにバッッチリピッタリ自然に修正されてしまいます。カラオケに同席して苦痛なレベルの病的音痴ですら丁寧に作業すると、一般人の普通のカラオケレベルに修正可能という恐るべきソフトウェアに成長しました。

かくて世の中の半分くらいの音痴は何事もなかったかのように直せてしまいます。
何度も言いますが、「治せません」 が 「直せる」ようになったのです。
ほんとにイイ時代です。



ここで一つの疑問が湧いてきます。



『これは果たして正しい行為なのだろうか。

     音楽という芸術に対する冒涜ではないのか・・・(震え声)』




つい先日、ひょんな事でピッチ補正のあり方について意見を交わす機会が有りました。


「オリジナル楽曲の楽譜に無いノートになっている部分はすべて修正すべき」

「可能な限り修正するがニュアンスが壊れるほど修正する必要はない」

「ズレも含めボーカリストの個性であったりニュアンスなので過度に神経質になるべきでない」

「ズレを個性とかニュアンスだといって片付けるのはおかしい」

「だけど音程完璧になったこのボーカル聞いても○○さん的な良さが感じられない」

「そもそも音程ズレてるなら録り直すべきです」

「録り直しですらその人らしさを奪うことはある」

「録り直しでボーカルを疲弊させるより80点の素材を元にピッチ補正かけたほうが良い結果だったりする」

「じゃぁどこまでのピッチ補正は許されるの?逆にどこまで補正すべきなの?」

「歌ってみたぐらいの趣味の延長だからそもそもそんな深く考えるとか()」

などなど・・・・


みんな、普段黙ってるけど実はいろいろ思うことあったんだね・・・という事がわかりました。


ここから先は完全に僕の私見で、自分のワークフローにも照らしつつ今現在の僕の所見として、数ある意見のうちの一つ・・・として書き置いておこうと思います。

まず端的に、ボーカル補正には「賛成」です。ただし条件付きで。

どうしても補正作業を始めると、1つを補正する→また他の部分が気になる→修正する→また他の部分が・・・、の無限ループになりがちです。 正に楽譜に照らしたノート的には正しくても「木を見て森を見ず」な状況。結果として徹底的な補正でボーカリスト特有のクセまで消されて見えづらくなり「その人らしさ」が失われてしまったりします。

ボーカリストによっては、正しい音程よりもやや低い(もしくは高い)ところから入って、音程を探りながら歌うのが個性の人もいます。さらにいえば結局ピッチが合わないまま絶妙にズレていることがその人らしさを生んでいることすらあります。小山田圭吾とか宇多田ヒカルとか。そういうボーカルのファジーなニュアンスを補正してしまったら、それは「その人らしさ」を壊すことになってしまいます。

なので補正作業をするオペレーターにもその辺りのセンスが必要なんだと思います。

「ノート(音程)」としての音を正確に捉えられる耳があることも大事ですが、ある箇所の補正に関して楽曲全体を通して聞いた時、本当にそれが効果的な補正であるかを判断したり、エモーショナルな部分を捉えたりするセンスのほうがもっと重要かも知れません。

私自身は音程に関して敏感ではなく、むしろ歌い方のニュアンスなどに敏感なタイプなので、私がピッチ補正の作業をすると楽譜的な視点で見ると補正が適当です。というかずれていても平気でスルーしてしまうあたり、楽譜に慣れ親しんでいるプレイヤー系の人からすると、むしろ絶望的に下手な部類です。

しかし、視点を変えてみると、割と一番「視聴者」に近い判断をしているのではないかと思います。

大抵の場合、どんなボーカルでもガッチガチに細かくピッチ補正して完璧に仕上げることも可能でしょう。でもそれってもう本人だっていえるのかなぁという疑問が。というか「本人というか、それってもう人間の歌声って言っていいのかなぁ」という疑問。

これは極論ですが「ボーカロイドに歌わせとけば安心」っていう事になってしまうではありませんか。

せっかくニコニコ動画やyoutubeなどで、メジャー流通を経ずにダイレクトに声を届けられる時代なのに、メジャーと同じようにガッチガチに完璧なものを届けても、そこに面白さはないでしょう。


逆に売り物としての音源を作るのではないのだから、下手さも上手さも含めて歌い手のリアルが見えるくらいで良いはずだと思います。もし売り物を作るときにはそれなりの布陣でしっかりと煮詰めながら音源を作るはずですから、趣味の歌ってみたというのはその程度いいはずだと思います。


人間臭さや、未完成未成熟な曖昧さ、揺らいだ部分を残した「余地のある声」っていう魅力も結構良い物だと思います。じゃぁ補正なんかするな?? いやいや。補正で良さが引き立つんなら積極的にしてあげれば良いと思うのです。


この手の議論は、ちょっと腕に覚えがる人たちはみなそれぞれに持論があると思います。

そして自分のやり方がある人は、自分が正しいと思う方法論でその時の気分で作業すればいいと思うのです。

しかし、どれだけ自分が正しいと思っても、決して自分のやり方や思想を押し付けるべきではないし、それぞれに違う意見があって違う方法論をとることに寛容であるべきではないでしょうか。

他人を容認出来ないような人は、音楽という自由なフィールドにいるべきではないでしょう。そういう人は、意見を交わすことと、エゴを押し付けることのちがいをよーく考える必要がるのかもしれません。

・・・というピッチ補正に関するボヤキのような一家言でした。

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Thread: DTM、宅録、ミックス、レコーディング、機材

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